山縣ゼミ第8期、修了。
2018年3月17日、近畿大学では卒業式がありました。卒業式の日に、山縣ゼミではゼミの修了式を毎年やってます。もちろん、今年もやりました。
この第8期は、山縣ゼミとして初めて企業とのプロジェクトに挑んだ代。大阪労働協会さんが実際の運営を担当された大阪府の事業〈P-DASH〉(←大阪の中堅・中小企業の魅力をインターンシップを通じて知り、それをプロモーションするという内容)に参加しました。私自身もいろいろ手探りのなかで、6チームともに悩みながらも頑張っていたと思います。
その一方で、Facebookでの私の投稿では有名になってしまった話ですが、この第8期は卒論に関して、ほんまによく怒りました。別に声を荒げたりしてはいません。が、「それ何?どういうつもりなん?」とか、「で?」とか私から言われた頻度だけでいえば、なかなかトップクラスでありましょう。
にもかかわらず(?)、ひじょうに人懐っこく、またメンバーどうしも異常なくらいに(笑)仲の良い代でもありました。私抜きに男子旅行、女子旅行、有志旅行(これがまた参加率高いw)などなど、いろいろ遊んで、つながりを深めていました(←これはひがんで言うてるのではありません。逆に、私がいなくても、メンバーたちだけで集まって遊ぶってのは、素晴らしいことなのです)。
その第8期の23名が近畿大学を卒業し、山縣ゼミを修了していきました。
卒論の指導をしながら、「何べん言うたら理解して、ちゃんと実践するんや!」ていうようなことを言うたのは、ほぼ毎週。おそらく、「何でここまでやらなあかんねん」って思っていたに違いありません。けれども、みんな最後にはそれぞれの見解を示して、書き上げた。終わってみて、ようやく安堵できました(笑)
今年は年度末スケジュールも異例で、ふつうならもうちょい早くにやってる追いコンを、ゼミ修了式のあとに。
第9期が中心になって、第10期もサポートして、すごく賑やかな楽しい追いコンになりましたた。
そして、翌日の夜に謝恩会。
珍しく、梅田で。
映像で2年間を振り返ったあと、一人ひとりから一言。
あんまり泣いてる写真を載せるのも気がひけるので、できるだけ明るい表情のを載せました(笑)
ただ、これだけメンバーがぼろぼろ泣いてるのも、なかなか過去に例がないことでした。それだけ、山縣ゼミ第8期というつながりに思い入れを持ってくれてるんやなって、私もうるっときました。
このあと、朝まで飲み(ちなみに、それほどみんな強くもないので、逆に長時間いけるようですw)、そしてカラオケいって、さらに2時間も名残を惜しんだとのこと。
ほんとに、ここまで仲の良い代ってのは、そうそうないなって思います。ひとつの成就のありようです。
さて、いよいよメンバーたちも、それぞれの行く先に向かって旅立ちます。
舵枕一夜ならぶる友舟も明日の泊まりや己(おの)が浦々(『玉葉和歌集』伏見院)
一夜ならず2年あまりを共に過ごした23名にとって、迷ったときに立ち戻って、再び進み出せるだけの“港”として、この第8期というつながりはあり続けてくれるように思っています。
メンバーたちの思い入れに引き寄せられて、いささか感傷的になってしまいました。
最後に、メンバーたちに送ったメッセージを、若干の補訂を入れて、以下に載せます。
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第8期の23名へ
あらためて、全員めでたく卒業できたことを心から祝います。大学教員と学生という関係性は、今日をもって終わります。明日以降は、また新しいステージです。
その区切りに、ひとまず最後の長文を送ります。
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二次募集まであったとは思えんほどの、いやむしろ、そうであったからこそかもしれんが、深く濃い繋がりがこうしてできあがったことを、何より喜ぶ。それぞれがどういう動機で、このゼミに来ようと思ったのか、俺は知らない。選考面接で聞いたかもしれんけど、そんなのはある意味でかたちのうえでのこと。
第8期が生まれて今日に至るまで、もちろんいろんなことがあった。それは俺が知るところのこともあれば、そうではないこともあるだろう。ただ、明確に言えるのは、それらの一つひとつ、仮にそれらがその瞬間には好ましくないことであったとしても、それらがあって次のプロセスに繋がり、織りなされ、第8期という鮮やかな織物として、輝きを放つものとなった、ということである。23名のうち、誰一人として欠けても織りあがることはなかった。
一人ひとりの個性を汲み上げることができたか、ポテンシャルを引き出すことができたか、それは俺の仕事ではあるけれども、評価するのは世の中であり、またみんな一人ひとりの実感に任せるほかない。
そりゃ、この第8期はしんどかった。教員としたら。こんなに人の話を聞かんやつがおるものかと、毎週のように激怒もした。当然、みんなも腹を立てたであろうし、何より「何でこのゼミに入ってしまったんやろう」って思ったに違いない。
しかし、最後にあえて言い訳がましいけど、言うておこう。
心底嫌うなら、そこまでエネルギーを割くことはない。
みんながそれぞれに社会で生きていけるだけの基盤をつくるのが、俺の仕事だ。だからこそ「学びも遊びもガチで」。それができないやつは、結局、仕事もできない。そのつもりで、今日までやってきた。
俺が担えるのは、ここまで。
これからはみんなが一人ひとり、自分の人生を織りあげていかなければならない。
でも、もうわかっていると思うけど、糸一本だけで織物はできない。これから、新しいいろんな糸を織り込みながら、それぞれの次を織りなしていってほしい。そのなかには、すでに23名の糸は織り込まれている。そして、それが消えることはない。
ゼミでの繋がりは、利害なく、心安くあることのできるかけがえのないものだ。それは、謝恩会での涙でみんな心得ていよう。忘れることなく、これを大事に。
何度も繰り返すし、何度でも繰り返すが、何よりも心と身体を大事に。生きることに定まった目的なんてない。できるかぎり健やかに生きること、そう生きようとすること、これ以外に目的などない。そして、自分がそうありたいと思うのであれば、他の人もそうであれるように願い、可能であれば、それを支える。おそらくは、そうすることによって、人生って豊かになっていくものだと思う。
どうかよい人生を。
また会える日を楽しみにしています。
山縣正幸
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