第7期、卒業。
先週末には第8期の卒論テーマ報告会、今週半ばには第9期の伊勢春合宿があって、それについて先に書くべきで、ちょっと順序が前後しますが、ご容赦を。
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2017年3月25日、近畿大学の卒業式・学位記授与式が執り行われ、山縣ゼミ第7期のメンバー25名と第6期で1年間留学して休学した1名も、めでたく卒業しました。
山縣ゼミでは、学位記授与式のあと、ゼミの修了式をやっています。そこで、卒論要約集『出藍』を渡し、最後のゼミを行うのが慣例です。昨日も同様に。
まずは卒業証書を持って。
修了式の支度をしてくれた第8期のメンバーも一緒に。
今度は『出藍』を持って。
そして、夜の謝恩会。
さらに、二次会。
2年半近く、いろいろとハードなハードルを課してきました。プレゼミ、『リサーチ・デザイン』の輪読、合同ゼミを念頭に置いたグループ研究、そして卒論。ことに、卒論に関してはかなり厳しかったと思います。
それでも、みんな挫けずにここまでたどり着いてくれました。よくがんばってくれた。
卒業&ゼミ修了に際して、メンバーに送った言葉を転載します。
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2017年3月25日、山縣ゼミ第7期生が近畿大学経営学部を卒業し、またゼミを修了した。この代は、それまで採用メンバーの構成でだいたい男女半々だったのに、なぜか応募の段階からすでに男女半々近く。そうなると、成績や意欲表明などの点で女子のほうが圧倒的に強い。結果、男9名:女16名という山縣ゼミでは初めての男女比になってしまった。しかも、今でも憶えているが、まだ「この学生も採りたいねんけど…(人数的に厳しい)」ってのがあった。
そういうなかで始まった第7期。
この代は、うちのゼミが変化しつつある、そのまさにきっかけとなった代である。プレゼミこそ従前のやりかたであったけれども、リサーチ・メソッドの習得、そして合同ゼミ。今まであまり外に出ることのなかったうちのゼミが、外界と接するようになったのは第7期からである。
当然、その分、ハードになった。飲み会などのイベントが多いのは、これまで同様であるけれども(笑)、学びの点でもけっこうなレベルを要求した。おそらくは「何でここまでせなあかんねん」と、みんな思っていたに違いない。実際、謝恩会の二次会では、みんなそれぞれにそのころの葛藤(よりはっきりといえば、不満w)を告白してくれた。
にもかかわらず、みんなはついてきてくれた。合同ゼミでも、卒論でも。ことに、卒論に関しては、かなり厳しかったと思う。きっと、俺のことを嫌いになったはずだ。嫌われることもありうるのがこの仕事なので、それはしょうがない。嫌われるのは悲しいけど。
それでも、それでも。
この2年半近くのあいだに、ゼミでやってきたことはきっとみんなの人生の何かの役に立つと信じる。学びについてはともかくも、少なくともここにこうしてゼミを巣立ち、社会に飛び翔っていく25名のつながりは、これから先も失われることのない、かけがえのない資産だ。どうか大事にしてほしい。
みんなに伝えるべきことは、伝えた。
ただ、何度でも何度でも繰り返し言う。身体も心も健やかに。休みも入れつつ、仕事も遊びもガチで。ガチでやるためには、健やかでなければならない。
そして、自分を、そして他人を大事にすること。第7期のつながりはもちろん、これから先に出逢うであろうさまざまなつながりを。追いコンのときにも言うたように、偶然を必然とすることができるかどうか、それこそが実力である。今こうして必然となった25名を想い、この第7期というゼミを創り上げてくれたことに、心から「ありがとう」と伝えたい。
もう飛び立つ時刻だ。
俺が伴走してきた2年あまりは、みんなが社会人としてひとり立ちしていくための助走期間。今や、みんなは俺の手を離れて、それぞれの人生へと羽ばたいていく。
晴れの日もある。
雨の日もある。
堪えがたいほどの逆風の日もある。
そうであっても、どうかよい人生を。みんながよい人生を送ること、それが最後の宿題だ。答案の提出期限は定めない。答案の書き方がわからなくなって、迷ってしまったなら、いつでもここに戻ってくればいい。そして、また飛び立てばいい。そのときは、これまでよりも少しくらいは優しく接しよう(笑)
あらためて、この2年あまりのみんなの努力に最大限の敬意と、みんなの貢献に心からの感謝を。
何より元気で。
また会おう。
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最近は、InstagramはじめSNSで元気かどうかわかるようになりました。
ただ、これまでのどの代よりも騒々しかった第7期の嬌声が学内で聞こえなくなったのは、やはり一抹の淋しさがあります。
メンバーすべてのこれからが、光と幸いに満ち溢れたものとなりますように。
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